自分探しってのは

だいたい10代後半から20代前半にかけて
自分はなんのために生まれてきたのか。

そしてどう生きていくのか。

ほんとうに自分がしたいこと
一生をかけてやり遂げたいことはなんなのか。

よくよく考えると自分は今まで
本気っていうのを出したことがあるのか。

改めて自分を見つめ直してみると
自分は今まで本当の意味での本気ってやつを
出していなかったんじゃないのか。

周囲の目も気にせず
顔を歪めて諦めずに頑張ったのか

立ち塞がる苦悩に
真正面から対峙したのか

今ならやれる気がする。
出来る気がする。

多分本気を出せば
自分はまだ気が付いていないだけで
ひょっとしたら、実は
すごい才能を持っているんじゃないだろうか

的な、まぁ漠然とした
期待とか不安とかを抱えつつ
人生というものの目的とか
今、この地に生を受けた
この世の一員としての役割とか使命とかを見つける、
あるいは見つけようともがくことをいいます。

なぜこのような〝自分探し〟なんていう、
ある意味崇高な青春用語が今年前厄の、
四十を目前にした中年が書いている
ブログのタイトルになっているのかといいますと。

私の場合は見た目。
つまり、容姿の方で自分探しをしております。

そっからかい!!
と突っ込まれそうです。

着ていて楽な服とか、
寝癖がつきにくくてセットが楽な髪型とか
めんどくさがりの私は
そういうことにあまり頓着していなかったのですが

社会的肩書きも付いてしまっている今や、
そんなことを言っている場合ではありません。

若気の至りってやつで
大目に見てもらっていたのも昔の話。

〝人は見た目より中身〟

なんて堂々と胸を張れる中身もない上に年を重ねて、
加齢臭がプンと漂う立派な中年ですから。

見た目くらいパリッとせなアカンのです。

なんて傍から見たら今更なんでしょうが、
ようやく見た目を気にするようになりだしております。

〝人間、見た目が9割〟みたいな感じの
タイトルの本を見かけたこともあるような。

で、つい昨日のこと。

学生時代にあてて以来、二度とやることのなかった
パーマネントっちゅうやつに挑戦しました。

くるくるパーマ。

顔が濃ゆいので、なかなか似合うんじゃないかと
自分的には思ったりするんですが

近しい人は新しい髪型の私を見るなり絶句。
そしてようやく出た言葉は
「どうしたん?」とか「なんで?」とか
どうにも理解できないようです。

どうも私が求めるべき探し物は
まだ見つかっていないようで

それどころか探し物がなんなのかすら、
分からなくなったんじゃないかと
心配されたりしています。

こんなクドい髪型にしたせいか
いつにも増してクドい内容のブログに
なっているような気もしますし。

なにかがズレているだけのか。
じゃあそのズレの根源はなんなのか。
どこをどう直せばいいのか。

自分の可能性
本当の自分ってなんなんだろう。

う~ん。
自分探しの旅は長くなりそうです。