以前から植木鋏研究会のリーダーさとちゃんから噂はかねがね聴いており、ぜひ行ってみたいと思っていた、大阪の堺市にある鋏鍛冶の佐助。

植木鋏研究会の新年会はこの佐助さんの鍛冶場見学から始まりました。

店に近づくにつれて、トンカントンカンと心地よいリズムで鉄を打つ音が聞こえてきました。司馬遼ばなしで盛り上がっている場合じゃございません。

この佐助さんの店構えといい、通りに響き渡る鉄を打つ音といい、完ぺきな演出やないですか。

久しぶりの再会、初めての出会い、司馬遼ばなし。
昂ぶる心を少し落ち着けないと。

ところで、佐助ってナニよ?って方のために、佐助さんについて少し説明が必要ですね。
佐助さんのホームページからちょこっと抜粋。

ここ堺という土地は、古くから「鍛冶」と深い結びつきのある場所です。 起源は五世紀前半にさかのぼり、仁徳天皇陵の大土木工事が行われたことで鍬(くわ)・鋤(すき)などの農具作りが根付いたといわれています。
また、室町時代にはポルトガル船が種子島に漂着したことにより鉄砲やタバコが日本へ伝来し、もともと鍛冶屋が多く点在していた堺でも鉄砲やタバコ包丁などの製造が盛んになりました。

 時は移りかわって江戸時代、『住吉屋』という廻船問屋が旧堺市内の一角にございました。各藩の御用商として様々な業務を行っていた『住吉屋』では、火縄銃を主に鉄製品の製造をしておりました。
 末期に入り、近代化と西洋化の波が訪れると、当主を務めていた定次郎(十七代目)は、著しく変化する世の情勢を見据えて実用的なものづくりを考え、鉄砲技術が活かせる「鋏」の製造を決意。
当時新しい構想の鋏を誇っていた種子島へと渡ります。

 島で技術の研鑽を重ねた後、堺に戻った定次郎は、江戸時代の末期1867(慶応3)年『佐助』を創業。植木鋏・花鋏・盆栽鋏の製造をはじめました。
 定次郎以来 佐吉、藤一、佐一と続き、現在は康弘が5代目を務めております。

鋏鍛冶の佐助としては、慶応3年創業ですって。
慶応3年といえば、徳川幕府の最後の将軍である徳川慶喜が政権を朝廷に返上した、いわゆる大政奉還の年であり、坂本龍馬が暗殺された年でもあります。

ちなみに、現当主の康弘氏は鋏鍛冶で唯一人、高度な技術持つ職人さんのみが認められる伝統工芸士に認定されている方なんだとか。

しかし、そんなことはどうでもいいんです。
いや、大事なことではあるけれども、重要なのはやっぱ仕事でしょ。シゴト。

結果から言いますと、買いました。刈込鋏7寸、お値段は9万円ほど。

手打ちの刈込鋏の相場って言ったら、おそらく2~3万円ぐらいじゃないでしょうか。
ちなみに、庭仕事をやりだしたときに買って11年間愛用していた私の刈込鋏『鋏正宗』は8000円ほど。よく切れます。
十分仕事出来ます。

9万円が高いのか、安いのか。

呼び鈴を鳴らすと、作務衣姿の佐助さんが自ら出迎えてくれました。
訊けば今日は朝から堺の刃物まつりがあり、奥さんも補佐の方もそっちに行っていないとのこと。
自分も朝から行くつもりだったが、せっかく来てくれるというので炉に火を入れて待ってて下さったのだとか。

なんと!わざわざ私らのためだけに、仕事をほっぽらかして!!しかも、火造りを見せるためだけに、火までおこして頂いてたなんて!!!

佐助さんの案内で鍛冶場に入らせていただきました。
まず目に飛び込んできたのは、鴨居に括られたしめ縄。

結界を張り、邪気を追い祓うという意味でしょうか。
刃物をつくるということと、さらに火を使うという行為は、それだけ神聖な場所と神聖な精神で臨まなければならないということでしょう。

火造りの作業風景を実演していただきました。
炉の正面に佐助さんが座ります。
何十年と座ってきた場所なんでしょうね。
無造作に並べたようにしか見えない道具たちも、いつもの通りに置かれているのでしょう。
炉の左側にある箱ふいごの取っ手に足をかけ、器用に調節しながら炉に空気を塩梅よく送り込む。
右手で木炭を足しながら、左手で火ばさみを使い、真っ赤にほてる鉄の熱加減を確認。そこに一切の無駄はありません。

今はまだ、歯ブラシようなの形をしているこの鉄が、佐助の鋏に生まれ変わるのです。

滑るように台の上に乗せられた真っ赤な歯ブラシに、いつの間にか握られていた、右手の金槌が振り下ろされる。
渾身の一撃。
ほとばしる鉄。
ビビる私。
さらに振り下ろされる金槌。
さらにビビる私。
間断なく振り下ろされる金槌。
またもビビる私。

「もう判ったっちゅうねん」と、お思いかもしれませんが、ホンマなんですって。
それはそれは、ハンパない迫力で、ハンパなくカッコエエんです。
それこそ結界の内側は神がかり的な世界でした。

こういうとき、私って奴は『触りたい!!』『やってみたい!!』の衝動を抑えきれません。
「ちょっと座ってみたいなぁ」なんて、あわよくばの独り言を言ってみたのですが、佐助さんが答える前に「かっちゃん、そらアカンやろ」と、メンバーのみなさんに一斉につっこまれました。
くそう。惜しかったぜ。

そのあと、火造りだけでなく、鉄が鋏になるまでの工程を、一通りぜ~んぶ説明して下さいまして。

ご主人自ら淹れて下さったお茶を頂きながら、しばし鋏談義とあいなりまして。

終始穏やかな表情でいらっしゃる佐助さんのおかげで、場のムードも非常に和やかな感じになりまして、ついつい長居してしまい、佐助さんのお人柄に惚れてしまった私は、気付いた時には吸いこまれるように鋏を注文しておりました。

本当はね。地元のお祭りである『刃物まつり』に、真っ先に駆けつけなアカン立場のお人やと思うんですよ。
それなのに、慌てる素振りも見せずに、お店の外まで出ていただいてお見送りまでしていただきました。

今思うと、表通りに響き渡る心地いい金槌の音色でのお出迎えから、お見送りまでが、佐助さんの粋なおもてなしの演出だったのだのです。

佐助さんをあとにした我々は、大阪に来た甲斐があったなぁと、もうこれだけで家に帰ってもいいと大満足です。
いやいや、帰ったらあきまへんがな。

植木屋鋏研究会の新年会は始まったばかりです。

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