「粉河寺(こかわでら)行きまへんか?」と私を誘ってくれたのは、その日、鋏鍛冶屋に一緒に行く約束をしていた大阪の植木屋「さとちゃん」でした。

さとちゃんとは、ブログで知り合った後、いろいろと交友のある仲間です。

粉河寺というお寺は知りませんでしたが、きっと良い庭があるに違いありません。

私は2つ返事でOK。

早速、さとちゃんの運転のもと、一路粉河寺へ。

粉河寺は大阪から和歌山に入ってすぐの所にあります。

道中、携帯電話で粉河寺の情報を調べます。

粉河寺は和歌山県、紀の川市にある天台系の寺院。


西国三十三箇所、第三番札所である。


770年、大判孔子古(おおとものくじこ)によって創建。

とある。

車中で携帯の小さな字を凝視してしまい、少し気分が悪いなぁなどと考えているうちに、粉河寺に到着。

庭志から庭師へ

いきなり、ド派手な朱塗りの大門がそびえ建つ。

明らかに、周りと浮いてます。

平日なだけに、人影はちらほら。

祭りの時なんかはいいんでしょうが、こんな閑散とした日は、余計に浮いて見えます。

「なぜ塗る?」などと、素朴な疑問を抱きつつ、大門をくぐります。

参道は右手にカーブし、参道の右側は川、左側には本坊、童男堂(どうなんどう)などの諸堂が並びます。

庭志から庭師へ

階段を上り、中門をくぐると、本堂の前には横長に広がる庭園がありました。

庭志から庭師へ

ほほう。
こうきましたか。。。

朱塗りの大門も派手でしたが、庭の方も負けず劣らずド派手です。

本堂の前に広がる、乱立する巨石群。

そして前栽にソテツとツツジ。

おっと、いかん。

作庭記が頭から離れないのか、普段は『植栽』と言っているくせに、『前栽』などと言ってしまいました。

とにかく、豪快というか、自由奔放というか、男らしく荒々しい庭です。

庭志から庭師へ

特に背の高い石をおっ立てているのが目立ちます。

この石は青石ですね。

青石は細くて長い石がよく採れるのが特徴です。

地元、紀州の石です。

他にも、琴浦の紫石(紅簾片岩)、竜門山の竜門石(蛇紋岩)といった石が使われているようです。

いずれも地元の紀州石です。

横から見ると、自由奔放におっ立ててるって意味が判るかと思います。

庭志から庭師へ

これをつくった人は、絶対愉しかったと思いますよ。

だって、これだけ好き放題やれれば…ねぇ。

手前中段あたりの真っ直ぐに立っている白い石が、おかしく見えます。

この石一つだけ真っ直ぐなんで、逆に違和感がありますよね。

まあ、庭の姿にも圧倒されたんですが、作庭した年代を聞いて、さらに驚きました。

なんと、安土桃山時代だそうです。

安土桃山時代と言えば、江戸時代の一つ前の時代、西暦でいえば1550年頃~1600年頃です。

現代ならいざ知らず、ここまで既定の枠組みに捉われない石組は珍しい。

いや。珍しいというより、ないみたいです。

この庭園の説明書きです。

1970年(昭和45年)4月23日に国の名勝に指定されている粉河寺庭園は桃山時代に戦国武将でもあり茶人でもあった上田宗固の作庭といわれています。
巧みに崖を利用して本堂の擁壁という性格を兼ね備え、石組みと植栽をあわせた国内でも非常に珍しい枯山水鑑賞式蓬莱庭園と呼ばれる先例のない庭園様式です。

先例がないって書いてますでしょ。

つくったのは、戦国武将で茶人であった上田宗固だとか。

この上田宗固とは、一体どんな人物だったのか。

ちょっと気になって調べてみたんですが、なかなかの武辺者だったようです。

名のある戦国武将の作品か…。

うん。それを聞いて、ちょっと納得。

で、納得ついでに粉河寺名物?の『割れ鐘』を住職が直々にひと撞き。

庭志から庭師へ

おぉ、失礼。

住職かと思ったら「さとちゃん」じゃありませんか。

鐘との相性が合い過ぎてて、住職と見間違えてしまいました。

でもなぜか、ありがた~い気持ちになってしまいます。