次回の報告は桜の咲く頃に♪

な~んて言ってましたが、早速朗報。
ブログ仲間の庭やmusashiさんがスクープです!!

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京都東福寺 八相庭①

musashiさんのスクープ写真はコレです。
庭志から庭師へ
こ、これは!!?

小さな赤松が2本。
ということは枯れた後、ちゃんと2本植え直したということなんですね。
でも、また枯れた。。。

……枯れてばっかりやん。

さらにスクープ!!!
庭志から庭師へ
東福寺方丈庭園設計図

ここにはそびえ立つ立派な赤松が2本描かれています。

ハッハ~~ン。

見えてきましたね。
時系列で並べてみましょうか。

これが作庭当初、というか本来の南庭の姿。
庭志から庭師へ

そして、1本枯れちゃった。。。
庭志から庭師へ

さらにもう1本枯れ、2本とも植え直した姿。
庭志から庭師へ

さらにさらに、植え直した赤松が1本枯れてしまい、「もういいや」と諦めた今現在の南庭の姿。
庭志から庭師へ

繋がりました? 繋がりましたよね。

思ったより、早く解決したので私自身が驚いているのですが、これもブログで知り合えた方たちのおかげでございます。
庭やmusashiさん。感謝します。
ただ、欲を言えば、作庭当時の姿。
設計図ではなく、やっぱり写真が見たいですよね。
2本の赤松が立つ雄大な姿を。。。

それにしても、冷静になって考えてみれば方丈の南庭と言えば石組がメインの庭。
その庭に対し、脇役の赤松1本のことで、ここまで引っ張ったこのブログはイケてるんでしょうか。。。
まぁ、それは読んでいただいた方の判断に委ねましょう。。。

ところで、庭やmusashiさんのスクープブログに、ちょっと読み捨てては置けない文章がありました。
それは、重森三玲氏が語った言葉です。
以下に転載します。(転載しまくりでスミマセン)

植栽は時間と共に変化し、時には庭の景観を大きく変えてしまう。一方、庭園の管理を同じ人間が継続して行うことは不可能であり、庭園を永久に同じ状態で保存するには「第一に一木一草用いない枯山水が最も適している」

これは尤も。

正しい意見です。

古庭園。いわゆる名園と呼ばれるもの。文化財庭園となっているもの。

それらを芸術として捉えた場合、これを後世に伝えていく、すなわち保存ということなると、生き物である植物を使っている庭園は、多くの難題を抱えることになります。

なぜなら庭園は、絵画や彫刻と違って、根本的に変わっていくものだからです。

変わっていくものを変わらないように保存しなければならない。

この矛盾。

全国の古庭園の調査をおこなってきた重森三玲氏は、このことを痛感したのでしょう。

その気持ちは、片田舎の造園屋の私でもわかります。

だがしかし、敢えて私はこの言葉の行間に込められている意味をさぐります。
重森三玲氏は、次代の庭師たちを完全に信用していません。
上記の重森三玲氏の言葉の裏には

「俺の庭の本質をわからんお前らなんぞに庭の管理をまかせられるか!!ボケッ!! お前らみたいなモンは草でもムシっとったらええんじゃ!!スカタンッ!! それぐらいやったらお前らみたいなモンでも出来るやろ」

こんな感じの罵声が込められているような気がします。
少なくとも私にはこう聞こえました。。。

「にゃにおぉぉぉぉぅ!!」と言いたいところですが…

この南庭の変貌ぶりを見れば、言い返す言葉はありません。
天国から「ホラな。俺の言うた通りや」という溜息が聞こえてきます。
抜き差しならない事情があったのでしょうけど、あの赤松はどう見てもやっぱりヒドイですもの。
せめて…
せめて、当時の写真を付近に貼って、高札の一つでも立てて、説明書きをするなどの配慮が必要ではないでしょうか。

いや、もう言うまい。
人の仕事をとやかく言う前に、自分の仕事を振り返らねば。
赤松のことにこだわる前に、自分にはもっとこだわらなければならないことが山ほどあります。

子曰く、賢を見ては齊しからんことを思い、不賢を見ては内にみずから省みる


先人たちに溜息をつかれるような、格好の悪い仕事はしたくないですから。

京都東福寺 八相庭 了

京都東福寺 八相庭(番外編) につづく