研修旅行最終日の3日目。
最終日は高野山(こうやさん)に向かいます。

前回までの記事を読んで下さる方ははコチラ↓↓

TOKUSA会 京都・高野山を巡る(前夜祭)

京都から車で2時間半ほど。
高野山に行くのはワタクシ初めてでございます。

高野山

活字にしただけで、なんだか神聖な雰囲気が漂います。
道中の景色をご覧あれ。
庭志から庭師へ
ここがいかに神聖な場所であるのかということが、この写真から伝わるでしょうか。
私も高野山は初めてですから、少し一緒に勉強しましょう。
教科書はウィキペディアです。

高野山は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。
平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が国の平和を祈り国民に安らかな生活への道を伝え、併せて末徒の修禅観法のため、また自らの入定の地とする崇高な目的をもって修行の場として開いた高野山真言宗。
比叡山と並び日本仏教における聖地である。
山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117ヶ寺に及び、宗教都市を形成している。


ふむふむ。
大体分かりましたね。
しかし、「自らの入定の地に定める」とある『入定』ってなんぞや。

大丈夫。
調べましたから。

入定(にゅうじょう)とは、生き続けて人々を救済しているという意味です。
元々、入定は瞑想の実践という意味だったのですが、いつしか不死の命を得るという意味に変わりました。

なるほど。弘法大師空海は、千年以上たった今現在でもこの地で国の平和を祈り、修行をしていると。。。そういうことですね。
なんてありがたく、ロマンチックな話なんでしょう。
早速弘法大師様に会いに行かねば。

弘法大師様がおられるところは奥の院です。
奥の院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。
弘法大師が入定しておられる御廟までの約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年を超える杉木立の中に立ち並んでいます。


ややっ!!?
修行僧ご一行様と遭遇。
庭志から庭師へ
「へぇ、石橋を渡ってるやん」なんて思っちゃいました。
いや、深い意味はないんです。なんとなく。

修行僧を見送った後、我々も奥の院に入定。いや、参拝。
庭志から庭師へ
こんな雰囲気で、約2キロメートルにわたって墓石や慰霊碑などが延々と続きます。
庭志から庭師へ
樹齢1000年はあろうか。
こんな杉がいたるところに。
庭志から庭師へ
いわゆる第6感ってヤツですか。常はニブい私ですが、ここでは霊感をひしひしと感じないわけにはいきません。

ここからは暫しお墓巡りです。
庭志から庭師へ
浅野内匠頭の墓所

庭志から庭師へ
豊臣家の墓所

庭志から庭師へ
織田信長の墓所

庭志から庭師へ
芭蕉句碑

・・・読めません。

庭志から庭師へ
結城秀康(家康の次男)の石廟

庭志から庭師へ
安芸 浅野家の墓所

庭志から庭師へ
加賀前田家二代利長の墓所

庭志から庭師へ
法然上人の御廟所

庭志から庭師へ
伊予松山 松平(久松)家の墓所

庭志から庭師へ

名だたる人たちのお墓がずらり。
これらはほんの一部です。
20万基と言われているそうですから、あと19万9990基ほどあるということです。
お墓の森の一番奥。とうとう着きました。
庭志から庭師へ
さらにこの奥が弘法大師が今も修行をしておられるという御廟になります。
ここでもう一度、心を清めます。

そしてここがその御廟。

・・・・・・と言いたいところなんですが、残念。
ここから奥は撮影禁止なんです。

なので写真はありませんが、この御廟の裏の、山の奥で、弘法大師様はやっぱり今でも修行しておられるようです。
姿は見えませんでしたが、食事がきちんと用意されていましたから。

次回、TOKUSA会 高野山(三玲三昧)編②へつづく