今日は旅行2日目。京都編です。

昨夜の前夜祭の盛り上がりが嘘のような快適な目覚め。
アルコールとチャンポンした『ウコンの力』が効いたのか。
それともビジネスホテルの空調が快適だったからでしょうか。
気分は上々。ですが、外は雨。
「雨の嵐山」ではないですが、「雨の京都の冬庭」も詫びていて良いです。

TOKUSA会 京都・高野山を巡る(前夜祭)   ←記事はコチラ

通勤ラッシュに紛れ込みながら向かった先は東福寺。
東福寺には昭和の作庭家である重森三玲氏がつくった「八相の庭」があります。

まずは少しお勉強。
重森三玲氏が命名した八相の庭とは、大方丈を囲む東西南北4つの庭のことです。
名前の由来は、八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいじゅう)」「壷梁(こりょう)」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」に因んでいます。
この八相を4つの庭でそれぞれ表現しているのですが…。
長くなるので、詳しい説明は今回は省いておきましょう。

拝観料を払い、廊下を進むと眼前にいきなり現れる巨石群。
庭志から庭師へ
八相の庭、南庭の石組です。
写真の右側がこの庭の正面となります。

まず、乱立した石の迫力に圧倒され、息を呑みました。
擬音で表すと、ガビ~ンでしょうか。ドガガ~ンでしょうか。
いや、ハリセンで頭をしばかれたときのようなスパーンという感じでしょうか。
とにかく、衝撃です。
一つ一つの石の迫力はもとより、砂紋がそれらの存在感をさらに倍増させます。

圧倒されている私の視界の片隅にチラリと針葉樹のようなものが。。。
ん?まぼろしか???
いや、そこには現実に庭に植えられている赤松の姿が。
写真でも確認できますよね。
なんじゃこりゃ。
この瞬間、私はサーッと冷静になり、自分の職業を思い出す。
重森三玲氏の庭らしくない。いや、京都の庭らしくない。
あの姿、あの大きさ、あの仕立て方の赤松は、いかにもこの庭にふさわしくない。
そんなことは誰が見ても一目瞭然ではないのか。
一体なぜあんなところに…

近づいて見ると、赤松の足元には大きな切り株が。
庭志から庭師へ

雨のため、写真が暗くて解りにくいですが、赤松の根元、右側にホラ。

はは~ん。元々の木が枯れて、植え替えたってことか。

納得。

………

いやいや。納得できかねます。
人の仕事にケチをつけるのは、あまり良くないので小さな声でいいますが、
枯れたにしたって、この赤松はどうでしょう。
不釣り合いにも程が過ぎるじゃありませんか。
気持ち悪いです。ない方がましです。
ちょっと許せません。
この赤松が悪いと言ってるんじゃないんです。
これはこれで、それ相応の場所に植えてやればいいんです。
しかし、この庭にはダメなんです。
こんな自然樹形のモドキのような、全体にま~るくガチガチに透かしたような仕立て方をした赤松がダメなんです。
おっと赤松に興奮し過ぎましたね。
あまり過ぎると私の品格が疑われます。
庭に戻りましょう。

正面からです。

庭志から庭師へ
この庭の説明は、重森三玲の言葉をそのまま引用した方が解りやすいでしょう。

本庭は巨石による枯山水本来の石組本位のものとし、一木一草もちいなかった。
なにぶん方丈が大建築であり、土塀も3m以上の高さをもつ大土塀である。
よほど豪健な石組でない限り、作品効果がない。
そこで主石として3個の長大石を入れたが、このような長大石を、長く横のまま用いた手法は、古庭園にも全く見当たらない。
この思い切った創作に踏み切ったことが本庭の生命である。
(日本庭園史大系27より)


そうなんです。
残念なのは写真では迫力をお伝えできないことです。

庭志から庭師へ
お寺は塀も瓦も建物も、何もかもがビッグサイズですから、大きさが伝わらないんです。

それと、気になったのは一行目の「一木一草もちいなかった」の部分。
あれ?あの赤松。それに切り株。あれはどうゆうこと?
これは少し気になります。
一度調べてみないといけませんね。
結果は調べ次第、報告したいと思います。

次回、その②に続きます。

京都東福寺 八相庭編②←はコチラ