前回からの続きです。

その①はコチラ↓↓

’09 山口県 きらら庭園フェアと毛利氏庭園研修

きらら庭園フェアで、山口県の庭師たちの情熱あふれた作品を堪能し、次に目指すは毛利氏庭園。
興奮冷めやらぬまま到着です。

庭志から庭師へ
表門で記念写真。
立派な角松が出迎えてくれました。

旧長州藩士であった維新の元勲井上馨によって、約6年という歳月をかけ、大正5年に建設されたそうです。
庭志から庭師へ

入場券をもらい、 中雀門(ちゅうじゃくもん)から内庭に入ると、瓢箪池を中心とした広大な庭に圧倒されます。

庭園は瓢箪池の周りを歩きながら鑑賞する池泉回遊式です。
写真は園内から見た旧毛利氏邸。現在は博物館になっています。

おお!! この赤松は!!

庭志から庭師へ
まさに絵にかいたような赤松です。惚れました。

本邸は江戸時代の城郭建築などにみられる書院造(しょいんづくり)の様式を継承し

た近代建築として設計され、神代杉や神代欅などの伝統的な良材を用いただけでなく、鉄筋コンクリートやトタンなど当時最新鋭の建材もふんだんに使われたそうです。

庭志から庭師へ

邸内の電力はすべて自家発電でまかなわれていたそうで、給湯施設が設けられただけでなく、各部屋がインターホンで結ばれるなど、伝統的な和風建築と最新技術とを融合させた建築だったようです。

庭志から庭師へ
本邸内からは、庭だけでなく、藩内を見渡せます。

庭志から庭師へ
「百万一心」あるいは、分離して一日一力一心」とも読むようです。

意味は???なのですが、正月っぽいので。。。

現在、毛利氏庭園及び毛利氏博物館は財団法人防府毛利報公会が管理し、邸宅・庭園ならびに伝来の国宝・重要文化財をはじめとする累代の家宝を有料で一般公開しているのだそうです。

庭志から庭師へ

建物と反対側、あずまやからの風景です。

庭志から庭師へ

一通り庭園を散策した後、別料金となる毛利史博物館にも入りました。

博物館って、説明文なんぞを読んでいると、つい没頭して時が経つのを忘れてしまいます。

さらに土産売り場のおばちゃんと話しこんでしまい、ふと我に返ると。。。

ヤバイ!! 時間がない!!

油を売っている場合じゃございません。あと三箇所は行きたいのに!!

急いで向かった先は「名勝 宗燐寺」。

庭志から庭師へ
宗燐寺は、777年に唐より来朝した為光和尚によって松江山普済寺が創建されたと伝えられているそうです。
その後1670年に長州藩永代家老で宇部領主であった福原広俊が菩提寺として「宗燐寺」を再興した禅宗の名刹です。

庭志から庭師へ
朽ちかけた茶室の前で。

庭園は、築山山泉庭で「龍心庭」と呼ばれており、県下一の古庭園だそうです。
池の浅瀬は干潟様、池中の8石の立石は夜泊石と称されています。


庭志から庭師へ
1968年に重森三玲氏が庭園を調査、復元されたと聞き、訪れてみたのですが。。。

正直に言います。

「ふぅん」です。

多分、冬だから。ですね。春や秋ならやっぱり綺麗なんでしょう。

ここで山口県一泊二日の旅も、いよいよタイムオーバーになってしまいました。

他にも見に行きたい庭はあったのですが、限られた時間ではここまでが限界でした。

今更ながら、毛利氏庭園で悪戯に時間を費やしたことが悔やまれます。

写真は自由律俳句で有名な俳人、種田山頭火の銅像です。山口駅にありました。

庭志から庭師へ

「まったく雲がない笠をぬぎ」

という句が刻んでありました。旅の途中、晴天の下で網代笠をとり、ひと休みしたときに詠んだものだそうです。

・・・・・・・・・

凡人には深さがわかりません。。。

今回、山口県にて色々な庭園を見てきましたが、我々造園業で賄っている者にとっては、古人の造った文化財庭園よりも現代の同じ時代を生きる人達の仕事っぷりが一番勉強になるように思います。もちろん、地元である京都は文化財の宝庫ですので、そっちの勉強も怠ってはいけません。
しかし、そういう意味では、きらら庭園フェアは良い刺激になりました。

山口県、機会があれば、また寄りたいと思います。