石を組む。という行為が好きです。

書家が箒ほどでっかい筆で
何畳もある紙に
全身でもって書きなぐるように

自由闊達に石組をするのは
めちゃくちゃ充実感があります。

庭をつくるという一連の流れの中で
最も芸術性が高く、最も難しく
そして最も人を感動させることが出来るのは
石組だと僕は考えています。

石組とは、滝を組んだり、
山や島に見立てて石を組む、あれです。

石を積んで
土台であったり、壁をつくったりする
石積とはまた違います。

よく芸人さんが〝笑いの神様が降りてきた〟
なんて言いますけども。

もし造園の神様が降臨するとするならば

それは地割のときでも、
植栽の時でもなく
石組のときにこそ
降りてきてほしいものです。

最近特に、石組に魅せられています。
というより、ようやく石組の真の力に気付いたということ。

女性が職人の手によって
美しく精密にカットされたダイヤモンドの永遠の
不変の輝きに魅了されるように

僕は作庭家の手によって
その空間を呑み込むような
勢いでもって組まれた石組に魅了されます。

庭っていうのは生き物なんですけれども。

何億年前、何万年前に地球で生きていた
恐竜とか原人とか。

実際にその時代に戻ることは不可能なんだけれども
彼らの骨が化石として残ってくれて
僕らに想像するチャンスを与えてくれた。

勿論この僕に
学者のような緻密な考察は出来ないけれど
僕は僕なりに観察して想像して
その時代に思いを馳せる。

こういうものに、物凄く浪漫を感じます。

庭もね。
同じように残るんです。石組が。

古くは三、四世紀。
古墳時代のものが数件、残っています。

これが今言われている最古の石組。

その最古と言われるうちの一つを求めて
阿智(あち)神社に行ってきました。

阿智神社は岡山県の倉敷市にありまして
かつて三世紀に渡来した
阿知使主の庭園跡であると考えられています。

神社内には古来より
磐座として祀られてきた石が多数あり
その内の一つである石群が
当時大陸では既に広まっていた
蓬莱思想による鶴島亀島の形式をした石組ではないかと
庭園研究者によって発見されたものです。

この石組がそれ。

天津磐境(あまついわさか)
と、提灯が掲げられていますが
こっちが正面ではありません。

正面は写真右側の本殿の側なんですが
正月に訪れたものですから
ちょうど石組と本殿の間に
おみくじを結ぶ木枠が組まれてしまっていまして。

訪れたのが正月だったものですから。

この木枠のせいで
正面からきちんと見ることが出来ませんでした。

石組と本殿の位置関係はこんな感じです。

遥々京都から、これだけのために訪れたというのに。
大ショック。

せめて、なんとか石組の全景を写真に収めなければ。

鶴島石組側から。

亀島石組側から。

しかも、カメラのフィルター機能〝ドラマチックモード〟で
遊びで撮った写真だけで
まともなヤツが一切無いし。

遠いところまで行って、何をしとるんや僕は。

だけどまあ、岡山には
小堀遠州が作庭したといわれる
頼久寺の庭園があります。

ここの鶴石組も〝要チェック〟ですし
まだまだ山陰地方には
この目で見ておきたい石組がたくさん在ります。

そんなわけで、
再訪できる機会は近いうちにありそうです。

僕の石組巡礼。
つづきます。